以下は、劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観た当日である、2020/10/4に書いた文章です。
勢いで書き上げたものの、ネタバレが含まれるため、いつ公開するか迷って、公開日の1か月後まで待てばさすがにネタバレで怒る人もいないだろう、しかし都心ならば見れる劇場も残っているはず、という望みをかけて2020/10/18に予約投稿…しようと思っていたんですが。
公式が冒頭10分を特別公開とかいうえげつない素晴らしいことをしたので急遽今日、10/10に公開してしまうことにしました。
「劇場版 #ヴァイオレット・エヴァーガーデン」本編冒頭シーン10分をノーカットで特別公開!
— 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」公式 (@Violet_Letter) 2020年10月9日
ライデンの郵便社に所属していたけれど、18才のときにそこを辞めて以降、彼女の記事を見る事はない。
その“自動手記人形”の名は――https://t.co/BAgpWVvhBc#VioletEvergarden pic.twitter.com/GMahx0ba0K
劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観ました。
情感と余韻を与えてくれる、素晴らしい作品でした。
これ以降は完全に作品内容にも触れた、いわゆるネタバレありの乱文なので特に読まずともよいです。
むしろ、まだこの作品を観ていない場合は読まないでください。
この文章を読んでいるということは、少なからず興味があるということでしょうから、もしそうであるならば、この文章の続きを読むよりも先に、ぜひ観てほしい。
再度強調しますが完全にネタバレが含まれています(クリック、あるいはタップすると開きます)
冒頭、祖母の葬式を終えたと思しき両親と、一人娘の会話から物語は始まる。
娘は、多くの手紙が収められた古い箱を見つける。
それは祖母を遺して早くに亡くなった曾祖母が祖母に宛てて、代筆ならびに毎年の誕生日に届くよう依頼した手紙たちであること、昔は手紙の代筆をする自動書記人形(ドール)と呼ばれる職業があったことを父が語る。
この時点で、TVシリーズを観ていれば亡くなった祖母が第10話のアンであるとわかるだろう。
同時に、通信技術が発達した"いま"では、自動書記人形が過去の職業になったということも。
娘は、曾祖母の手紙を代筆した自動書記人形の足跡を辿り始める。
その自動書記人形こそが、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
そう、自動書記人形の時代に生きたヴァイオレット・エヴァーガーデンという女性を描く物語はこの劇場版で"いま"に至って、幕を閉じるのである。
終戦から年月が経ち、街灯はガス灯から電灯へ代わり、電信が、電話が、そしておそらく"いま"ではインターネットが普及したことによって自動書記人形の時代は終わりを迎えている。
時は戻ってヴァイオレットが生きた時代。
ヴァイオレットは入院している少年から代筆の依頼を請ける。
いつも見舞に来てくれるもののなかなか素直に接することができていない両親と弟へ、加えて痩せ細った自分を見てほしくないがゆえに見舞に来るなと言ってしまった親友へ宛てて。
そして自分が亡くなった日に届けてほしいと依頼した。
両親と弟への手紙は無事に書きあがるが、親友への手紙を書く前に少年は危篤に陥り、息を引き取る直前に少年と親友を繋ぎ、想いを伝えたのは、手紙ではなく電話だった。
普段、直接では伝えられないようなことも手紙にしたためれば伝えられたりするが、手紙もまた万能ではなく。
万能ではないが、手紙にしたためて伝えられることそのものの、手紙という手段の価値、意味が完全に奪われてしまったわけでもやはりなく。
通信技術が発達して何でも即時に情報を届けられる"いま"にあってあえて、娘は両親に宛てて手紙を書く。
終始、胸がいっぱいになりっぱなしだった。
僕はWebサービスの開発者だ。
この複雑怪奇な現実世界をなんとかしてプログラムのコードに落とし込もうと日々格闘している。
この分野で働くうえで、情緒的な、曖昧な解釈ができるような文章を書く余地はあまりない。
その前は大学院の修士課程の学生だった。
研究論文でもやはり、曖昧な解釈ができるような文章は許されない。
「国語辞書に載っていない語は全て論文中で定義せよ、ただし紙面に収まりきらない場合は同分野の研究者であるならば知っているであろう順番にやむを得ず削らざるを得ない」とは師の教え*1を自分なりに言葉にしたものだ。
後輩にもそのように教えた。
つまり、情感を伝える文章を書く訓練は小学校の頃を除けば受けていない。はっきり言って下手だろう。
しかし僕も人間だ。
悩みも、疲れも、焦燥も、そして何より、上記のような人生を送ってきた結果、無意識に理性的であろうとするあまり感情が擦り切れてしまいそうにもなる。
そういうときにどうするのかといえば、アニメを見、ゲームをする。
アニメとゲームが僕に感情を与えてくれる。
アニメとゲームが与えてくれた感情を糧に、生きている。
そのもっとも大きな供給源がアイドルマスターである、というのは僕を知っている人たちであれば疑問の余地もないだろうが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンもまた、心が温かくなるような情感を僕に与え、もっと作品世界に浸っていたいと思うような余韻を残してくれた。
この余韻を残してくれたという事実が、僕にとって大きな影響を与えてくれた、素晴らしい作品であるという証左だ。
一方で、もっと作品世界に浸っていたいと思ってはいるが、既に述べた通り、自動書記人形の時代に生きたヴァイオレット・エヴァーガーデンという女性を描く物語はこの劇場版で"いま"に至って、幕を閉じたのである。
作中世界はヴァイオレット・エヴァーガーデンの足跡をたたえながら、その先へと進んでいく。
人生に、エンドロールは流れない。
流れないが、背中をそっと押してくれる作品と出会えることはある。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、深く心に残る作品になったといえる。
*1:とか書くと故人のように読めてしまうが師、つまり僕の指導教員だった先生は今もバリバリ現役である