この文章はアイドルマスターという20周年を迎えようとしている、人が増え、規模が大きくなり、過去の歴史についての様々な情報が玉石混交しているものについて、曲がりなりにもアイマス歴17年を迎え、 それなりに多くを体験してきている側にいつの間にかなってしまった僕が、いわゆる民俗学の一資料のようなものとして、自分の視点から見たアイマスの歴史、景色、記憶を文章に残しておく必要性を感じたために記述するものである。
僕の記憶に残っている限りの当時そのままの感情と、掘り出せる限りの当時の記録を照らし合わせてそれなりに正確性を担保した記述を目指す一方で、 当時感じていた不安、不満も包み隠さず記述するつもりであるので、そういった部分についての配慮、いわゆる社会性フィルターをお求めの皆様は読まれないことをオススメする。
前日譚
アイマスにハマる直前あたりの僕は、アイドルが嫌いだった。 より正確に言えば、アイマスにハマってからもしばらく、アイドルは嫌いだった。
というのも、父の趣味により物心ついたころから家にコンピュータ*1があり、10BASE-Tのリピータハブで構成された家庭内LANがあり、ダイヤルアップ、ISDN、最初期のCATV*2と 実年齢に不相応なインターネット遍歴を辿っていた僕はその育ち方から必然、外で遊ぶよりも図書室で本を読むほうが好きな子供で、秋葉原駅周辺にUDXやアトレ、アキヨドなんかができるよりも遥か昔、そこがアキハバラデパートとバスケットボールコートだったころから、 万世橋のすぐ近くにあった今は亡き交通博物館に半年に一度は通い、リニューアル前のラジオ会館へ親に連れられて行っていた子供であった。
そしてアニメやマンガ、ライトノベルに自らの意志で手を出し始めた当時2005~2006年ごろ、当時放映されていた新作の深夜アニメはどうにも肌に合わず、時代を遡って攻殻機動隊やAKIRA、エヴァンゲリオン、王立宇宙軍、メガゾーン23、マクロスプラスなんかを見ていた中学生でもあった。
そして当時中学受験をして入学した私立中学の部活によって、鈴商であるとか千石、秋月、マルツといった電子工作系の専門店に部品の買い出しに行ったり、またその先輩の影響でジャンクノートPCをニコイチあるいはサンコイチなどして修理して動かして遊ぶような趣味をしていた。
2005~2006年ごろといえば言うまでもなくアケマスが稼働し始めた時期であり、ニコニコ動画がサービス開始した時期であり、電車男によってオタクという存在が世間に何度目かの再発見をされ、萌えだのメイドカフェだのと面白おかしく好奇の視線に晒されていた時期である。 どう考えてもそういうディレクションだっただろうと思われるので本人が悪いとは思っていないが、ホンジャマカの石塚英彦さんがメイドカフェのレポートに行って「萌え~」と言わされていたテレビの光景は今後も絶対に忘れないと思う。
そして、それは同時に、AKB48が世間的に有名になり始めた時期でもあった。 そう、秋葉原、あるいはオタクという単語を出した瞬間に誰も彼もが「あれでしょ、AKB48」と言い始めるのである。 否定しようにも、アニメやマンガやライトノベルやコンピュータといった趣味のほうは電車男からの一連の流れで未だ好奇の視線に晒されている時代であり、それはそれで言いづらい。 しかして、アイドルというものに対してとにかく、ひたすら反感だけが溜まっていっていた時期であった。
そんなわけなので、僕もアイマスというものに初めて触れたのはニコニコ組曲のエージェント夜を往くであったり、あるいはわかむらP*3のパーフェクトスターパーフェクトスタイルあたりのはずなのだが、 エージェント夜を往くは完全にニコニコ組曲の一部としてしか認識していなかったし、わかむらPを筆頭とした最初期のニコマスの動画は先のAKB48に関する反感を大いに引きずった、「アイドルなんて…」というかなり嫌い寄りの反応だったと記憶している。
Xbox360版アイドルマスター
そんな僕がどうしてアイマスに触れたのかといえば、Xbox360がきっかけだった。
中学時代の部活において、合宿と称した旅行の時に先輩が初代Xboxを持ち込んできていて、その時にHALO2を分割ウインドウで遊んだ。 その時初めてFPSというものに触れ、面白いと思って以来どうにかしてHALOを自宅でやりたいと思い、Xbox360を2007年のクリスマスプレゼントとしてねだった。
かなり高かったはずだがありがたいことに買ってもらえ、新しいゲームハードを買ったときの恒例行事として何本かソフトをまとめ買いしたわけだが、その際もともとの目的だったHALOヒストリーパック、 小さい頃からシリーズ通して遊んでいたA列車で行こうHXに加えて買ったのが、当時中古ワゴンで投げ売りされていた通常版のTHE IDOLM@STER、いわゆる無印であった。 アイマスに関する当時の知識は本当にニコ動で見た程度しかなく、育成シミュレーションゲームであるということすら知っていたかどうか定かでないので、なぜ手に取ったのかは今も完全に謎である。
ともあれ最初の目的であったHALOおよび同2のストーリーモードをクリアしたあと、A列車で行こうHXは率直に言って面白くなくすぐ止め、無印に手を付けたのは最後。
当時は攻略wikiという文化はありつつも企業運営のwikiが登場していなかった時期であって、有志の非公式wikiの情報が充実しており、それを参照しながら遊んだ。 初めに選んだあずささんは最終到達がAランク、確か90万人ほどだったと思う。
ここで初回から攻略wikiを見たのは賛否が分かれるかもしれないが、少なくともアイマス無印においては見てよかったと思っている。 なぜならば表でわかりやすく見える範囲はランダム要素の塊、その裏で一定の法則がある仕組みが、よく見ないと気付けないほどこっそりと少しずつ動いているのである。
つまり裏に隠された法則を見つけるには、表面でかく乱してくるランダム要素をある程度平滑化して観察できるようになるほどの試行回数が求められたわけで、攻略wikiを見ていなかったらその段階で挫折していただろうと思う。 もし攻略wikiを見ていなかったら、楽曲の時間経過によるパラメータ減衰なんか一人で果たして気付けただろうか。 それくらい、1st VISIONのアイマスというのは好意的に表現すれば奥深く、バッサリと斬ってしまうと異常に不親切で遊びづらいゲームだった。
しかしながら、52週という限られた期間でスケジュールを立てながら進めていき、オーディションの成否によって予定変更を余儀なくされたりする計画およびリソース管理ゲームとしての側面、 それと育てたアイドルのパラメータを使って審査員の言葉から示唆される自他の得点分布を推定しながら、ViDaVo3種のパラメータについて最下位を回避しつつ各ターム3位以内入賞を目指し、 途中の展開によってはジェノサイドで審査員を帰らせ…といった、1st VISION時代のゲーム性のコアであるオーディションの時間制限付き星取りゲームとしての緊迫感と合格時の達成感に僕は魅せられた。
つまり当時アイドルに反感を持っていた僕がなぜアイマスにハマったのかというと、当初よりゲームのモチーフとなっているアイドルという要素、そしてキャラクターたちにはなんら興味がなく、ただただ純粋に、シミュレーションゲームとしてアイマスを遊び始めたからなのだった。
アイドルマスターL4U
そんな僕であったが、そのアイマスに新作が出ると聞いて、アニメ同梱特装版をわざわざ予約して買った。 そう、アイドルマスター Live for You!(2008年2月28日発売)である。 クリスマスに無印を初めて遊んだ高校生が翌2月末に発売されるゲームの特装版を予約して買っているのである。しかも全額内金だったはず。どれだけ衝撃を受けたのか推して測れるだろう。
しかし知っての通り、アイドルマスター Live 4 You!はゲームではない。 そのため前述の通り無印のゲームシステムに魅せられた人間としては完全に期待外れであった。
ただし、Xbo360における実績システムの実績だけは360の実績稼ぎwikiに載るくらい短時間で網羅できるので全回収した。
同梱のアニメもまあ…良かったかというと正直…良くはなかった。ニコ動でネタにされたくらいである。
そんなわけでゲームとしては全く面白くなかったL4Uだが、このころになると僕はアイマスを楽曲展開のほうで享受していた。 PSP-1000にリモコン付き有線イヤホンを挿し、電車に乗って高校に通う片道1時間あまりの間、メモリースティックに詰め込んだアイマスやアニメの楽曲*4をひたすら聴いていたのだった。
夕暮れ時、帰り、西船橋駅の武蔵野線ホームでrelationsを聴いて鳥肌が立った*5ときの、ふと振り返ってしまい、そのとき世界に自分だけが取り残されたかのような感覚、光景は今でも覚えている。